
金刀比羅宮は、象頭山の中腹に鎮座し、古来より善男善女の信仰をあつめてきました。
参道口から785段の石段を登ると御本宮にたどり着き、その高さは海抜251mになります。この場所にある現在の社殿は明治11年に改築され、大社関棟(たいしゃせきむね)とよばれる屋根は檜皮葺で、用材は節のない檜を使用しています。拝殿の格天井には桜樹の蒔絵が施されていて、御祭神は大物主神(おおものぬしのかみ)と崇徳天皇を祀っており、農業、殖産、医薬など広範なご神徳をもつ神様として広く一般大衆に親しまれ、特に海の神様として有名です。
また、本宮の北東側は展望台が設けられ、天気の良いに日は讃岐平野の彼方に瀬戸大橋や讃岐富士などを望むことができます。

天保6年(1835)に建てられた現存する日本最古の芝居小屋です。
「金丸座」の名称は明治33年につけられました。昭和45年に国の重要文化財に指定され、昭和47年から4年間の歳月をかけて現在の場所に移築復元されました。この時、名称が「旧金毘羅大芝居」となりました。
(元の場所は、現在琴平町立歴史民俗資料館が建っているところです)
また、舞台装置は全て人力で江戸時代の雰囲気を今に伝えています。
昭和60年から「四国こんぴら歌舞伎大芝居」が開催され、四国路に春を告げる風物詩となっています。
※内部の見学は有料です。公演開催時は休館の場合があります。

昭和9年に建造された木造日本建築の公会堂は、象頭山を見上げる金刀比羅宮参道に程近いところ、美しい緑の山を借景に荘厳な佇まいを見せています。春には、庭園の桜の木々が一斉に咲き乱れ、あでやかな風景が広がります。また、公会堂は、現在も各種催しや集会などに使用され、国の登録有形文化財に登録されています。
公会堂には古い史跡が移設されています。石段を登ってすぐ左にある燈籠は元禄7年(1694)建立の燈籠です。与謝蕪村の句碑「象の目の笑ひかけたり山桜」もこの場所にあります。
※現在、一般公開されていません。

金刀比羅宮の神事場にあるこの鞘橋は、国の登録文化財に指定されており、唐破風造(からはふづくり)・銅葺の屋根を備えるアーチ型の木造橋。刀の鞘を連想させるその形からそう呼ばれています。橋の下に柱がないのも特徴で、川の上に浮かんでいるようにみえる様から、別名「浮橋」ともいわれます。創建年代の詳細は不明で、現在のものは明治2年(1869)の改築に際し阿波鞘橋講中より寄進されました。
※神事専用の橋となっており、祭典奉仕の神職や巫女が渡る以外は渡ることはできません。

金刀比羅宮の名所の一つ。
慶応元年(1865)、香川県寒川郡の人々より献納されました。現在は、国の重要有形民俗文化財に指定されています。高さ27メートル、内部は3階建てで木造の燈籠としては日本一の高さを誇ります。そこから発する光は、丸亀沖の船に届くよう設計されたといわれており、当時、瀬戸内海を航海する船の指標とされ、船人がこんぴらさんを拝む目標灯にもなっていました。
また、内部の壁には江戸時代の人々の落書きが今も残っています。
※内部を見学することはできません。

呑象楼は、天保年間の建築です。もとは旧高松街道の榎井六条にある興泉寺が建てたもので、嘉永年間に勤王家『日柳燕石』が12年間を住居として使用した建物です。日柳燕石亡き後(1868)呑象楼は建物はそのままに置かれていました。
保存保護の立場から、燕石の遺徳に心うたれた有志の方々により、昭和29年(1954)4月、現在の場所に移築されました。移築したときに、集会所として使用するために改築されたため、文化財としての価値がなくなり、現在も文化財の指定は受けておりません。昭和14年(1939)県史跡に指定されていましたが、今は解除されています。現在も、2階には、壁のどんでん返し、床の掛け軸の抜け穴、はしご段の仕掛けなどが残っており、いろいろな逃げ道はまさかの時の用意であったものと思われます。
呑象楼は、初め【皆宣楼(かいぎろう)】や【双松閣(そうしょうかく)】などと言っていましたが、2階西側の窓から象頭山を盃に浮かべて飲み干したことから、「呑む」・「象」・「楼(高い建物などのこと)」と呼ばれるようになったそうです。
※内部の見学は有料です。